借り入れ不可で成長なり

仙台に住むことになりまして早20年がたとうとしています。

師走になるとちらついてくる雪に北国に住んでい

るのだと今更ながらに故郷の千葉県を思い出します。

 

私が千葉県の松戸というやや東京寄りでありながら東京ではない町を離れたのは1999年3月の終わり。

まだ30になったばかりの夢ばかり大きくて商売もわからん、はなたれ小僧だったと記憶している。

どうせ2-3年で地元に帰ってくるものだと気楽に考えてはいた。でもなぜか?故郷をはなれて東北道を北へ北へと走り始めたとき涙が込み上げてきたことを覚えている。

最初の商売をやるためには必死で3年もお金をためてきたものを自己資金にあてたが到底足りなかった。

銀行さんへの信用もないため素人に借り入れは不可。そこで母に頭をさげてお金を借りた。

さすが百戦錬磨の商売人だった母は私に言った。

「利子はいらないけど借りたものは借りたもの。親子でも借用書を書きなさい。そして期日にきちんと返しな。」「あーもちろん、そのつもりだよ」面白くなさそうに答えたものだ。

されでも最初の創業時に母から借りたお金は2年たったころには、すべて、それ以上にして返していた。

返済が済んでも生活費の足しになればいいなと実家への送金はつづけた。そんなに儲かっていたわけではなくてもである。

 

そして3年目にはいるころに移転することになり、自分の会社を創業することになるわけですが

ある時、母から言われた。

「お金は足りるの?ちゃんと貯めてきたのか?」

「あーなんとか大丈夫だよ」

知り合いに安くしてくださるという大工さんを紹介してもらい、何とか低コストでお店を

創り始めたものの・・・やはり当時の私は素人でお金が足りなくなった。

(そうだ、母親に借りに行こうか?)

あまかった私は、東北道をはしり真冬の朝に実家のドアをたたいた。

「はっきり言ってあげるよ。お前に今回は貸す金は一円もない。いい加減に親なんてアテにするのはやめなさい。そして、自分が今まで頑張ってきたのならば、金融機関が貸してくれるよ。借りれないならあんたの商売はここで終わりだね」

「でも、俺はいままでそれ以上に返してきたじゃ・・・・」言葉を飲み込んだ。

続けて母は告げた。「あたしがここで貸したら、自分の商売じゃなくてあたしの商売だよ。あんたの信用で世の中と勝負しな。」

そのとおりだった。あまいんだよ。

てっきり資金を用意できるつもりでいたから甘い私の心にメスを入れられた気分だった。

恥ずかしいやら悔しいやら・・・

 

昨年あたりに実家で70も過ぎた母に聞いた。

「あの時、なんでお金貸してくれなかったの?」

「貸して、よいことなんて一つもないだろう。あんたもさー部下に快くお金なんて貸すもんじゃないよ。

その子は育たないからね。」

 

相変わらず、かわいげのないオバーさんだと思いながら

彼女がかわいがっているメダカの水槽を見つめてやり過ごした。

 

「俺さーあの時、お金貸してくれなくてよかったと思っているよ。」

感謝の言葉を述べると今度は

「あんたは広げすぎに注意しな。一番大切なのは従業員よ。感謝しなさい」

といつまでたっても・・・

 

いまでも時々、心に秘めてる言葉を思い出す。

 

「借り入れ不可で成長なり!」

 

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