私の履歴書


migita

※本ページでは、代表取締役 右田哲朗へのインタビュー記事を掲載しております。

 

「元気と情熱」。この社名を聞いて、つい背筋が伸びてしまうのは私だけでしょうか。今回は、仙台を拠点に国内外で快進撃を続ける「元気と情熱株式会社」の右田社長に驚異の全店黒字化の謎を含めお話を伺いしてきました。

現在、グループ全体で16店舗を展開し、約250名ものスタッフを率いる右田社長ですが、その歩みはまさに「情熱」という言葉を地で行く、波乱万丈でドラマチックなものでした。

物語の始まりは、右田社長が20代前半に経験したオーストラリアでの4年半に遡ります。驚くべきは、その渡航費の作り方です。なんと現場仕事、いわゆる「ドカチンのバイト」で100万円を貯めて海を渡ったのです。

このエピソード一つとっても、若かりし日の右田社長の勢いのある実行の力が伝わります。又、現地ではその実力が認められ、若干22歳の若さで外資系大手両替会社であるトーマス・クック社に正社員として入社しました。社会人として初めての就職でありながら、当時の最年少社員として活躍を期待される存在でした。

そして華々しいキャリアを築かれました。プールやジャグジー付きのレジデンスに住み、高収入を得るという、誰もが羨むセレブな生活。しかし、お父様の病気という予期せぬ事態により、帰国を余儀なくされてしまいました。

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日本に戻った右田社長は、さらなる挑戦を選びます。
倍率200倍という超難関を突破し、「ディズニーストア・ジャパン」に入社したのです。

名刺にはあのミッキーマウスですよ!!!高待遇で将来も約束されていました。
しかし、尊敬する上司の退任や地方転勤を機に、彼は「自分の本当にやりたいことは何か」を自問自答します。
そこで辿り着いた答えが、意外にも「飲食業での独立」でした。

起業を決意してからの右田社長の徹底ぶりは、もはや伝説級です。
無借金での開業を目指し、なんと2年半もの間、4回あったボーナスに一切手をつけずに資金を貯めたのです。
その本気度は、当初猛反対していた周囲の方々や奥様の心をも動かしました。

そして2002年、縁もゆかりもない仙台の地で「串焼楽酒MOJA」をオープンします。
当時は本当にお金がなく、看板は浜辺で拾ってきた流木を組んで作ったそうです。

自分たちでペンキを塗り、まさにゼロから手作りで始めたお店が、数ヶ月後には目標を大きく上回る売上を記録。
夫婦二人で祝杯をあげた夜の喜びは、今も右田社長の原動力になっています。

社名を「元気と情熱株式会社」に変更したのは、銀行で名前を呼ばれた時に、自分自身が「はい!」と気合を入れて答えられる名前にしたかったからだそうです。

右田社長の経営は、単なる規模の拡大ではありません。
大切にしているのは「自走」ならぬ「自創(自ら創り出す)」という理念です。
社員一人ひとりが主体的に動き、お客様に「忘れがたいハッピーな体験」を届ける。

そのために「長所を活かして短所を無視せよ!」といった独自の10個のコアバリューを言語化し、組織の絆を深めてきました。

日本に戻った右田社長は、さらなる挑戦を選びます。倍率200倍という超難関を突破し、「ディズニーストア・ジャパン」に入社したのです。

名刺にはあのミッキーマウスですよ!!!高待遇で将来も約束されていました。しかし、尊敬する上司の退任や地方転勤を機に、彼は「自分の本当にやりたいことは何か」を自問自答します。そこで辿り着いた答えが、意外にも「飲食業での独立」でした。

起業を決意してからの右田社長の徹底ぶりは、もはや伝説級です。無借金での開業を目指し、なんと2年半もの間、4回あったボーナスに一切手をつけずに資金を貯めたのです。その本気度は、当初猛反対していた周囲の方々や奥様の心をも動かしました。

そして2002年、縁もゆかりもない仙台の地で「串焼楽酒MOJA」をオープンします。当時は本当にお金がなく、看板は浜辺で拾ってきた流木を組んで作ったそうです。

自分たちでペンキを塗り、まさにゼロから手作りで始めたお店が、数ヶ月後には目標を大きく上回る売上を記録。夫婦二人で祝杯をあげた夜の喜びは、今も右田社長の原動力になっています。

社名を「元気と情熱株式会社」に変更したのは、銀行で名前を呼ばれた時に、自分自身が「はい!」と気合を入れて答えられる名前にしたかったからだそうです。

右田社長の経営は、単なる規模の拡大ではありません。大切にしているのは「自走」ならぬ「自創(自ら創り出す)」という理念です。社員一人ひとりが主体的に動き、お客様に「忘れがたいハッピーな体験」を届ける。

そのために「長所を活かして短所を無視せよ!」といった独自の10個のコアバリューを言語化し、組織の絆を深めてきました。

もちろん、順風満帆な時ばかりではありませんでした。2011年の東日本大震災。震災では資金が底をつきましたが、右田社長は「2011年が再創業」という覚悟で再び立ち上がりました。

近年のコロナ禍も、焼き鳥に加え、ラーメン、唐揚げ、フレンチと業態を多角化していた戦略が功を奏し、社員を一人も欠かすことなく乗り越えました。

特に2019年にオープンした唐揚げ専門店「からあげの匠」は、1ヶ月で850万円を売り上げる爆発的ヒットとなり、グループを支える大きな柱となりました。

右田社長の視線は、今や世界、そして未来へと向いています。ベトナム・ホーチミンに進出し、現地の文化に飛び込みながら日本ブランドの信頼を広めています。

さらに驚くべきは、50代を過ぎてから「宅地建物取引士(宅建)」の資格を取得したことです。「飲食チェーン経営×海外展開×不動産資格」という、他に類を見ない「いない人(唯一無二の存在)」を目指した挑戦です。

今後は不動産会社を設立し、自身の経験を活かして、これから起業する若者たちへ「失敗しない店づくり」をコンサルティングしたいと、少年のように目を輝かせて語ってくださいました。

インタビューを通じて感じたのは、右田社長の圧倒的な「人間力」です。数字や運営にはプロとしての厳格さを持つ一方で、誰よりも社員の成長を願い、地域にハッピーを届けようとする温かい優しさに溢れています。

「あーすればよかった、と後悔しないように生きる!!!」
その言葉通り、常に全力で挑戦を続ける右田社長の姿は、周囲の人々に勇気と元気を与え続けています。右田社長が灯す「情熱」の火は、これからも仙台から世界へ、そして次の100年へと受け継がれていくに違いありません。こんなに熱くて真っ直ぐなリーダー、応援せずにはいられません!!!